親ガチャ

「親ガチャ」とは、「「生まれてくる子供は親を選べない」ことを意味し、生まれがベースとなって人生が決まるというニュアンスが強いため、この言葉への反感がある」とWikipedia では説明されている。2021年に若者の間で流行語となり、同年のユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選出され、大辞泉が選ぶ新語大賞では大賞となっている。

  

「親ガチャ」という言葉の流行に対して、岸田文雄氏(現内閣総理大臣)は「寂しく、悲しいことだ」と述べた上で、以下のような行政のサポートをしっかり進めたいと言及したようである。

  • 子育て世代を支える施策で格差を無くす
  • 未来に希望が持てる教育環境の整備

日々の生活に困るような家庭環境に生まれた人にとっては、「格差をなくし、誰もが教育を受けられる環境を整備する」は確かに「親ガチャ」状態克服の助けになる。なので、岸田総理にはぜひ迅速に行政サポートを実行していただきたい。一方で、それを「親ガチャ」とは無縁のアンタが神妙な顔つきで言うのね、という思いはあるが、それは一旦、横に置いておくとしよう。いずれにせよ、生活に困る家庭に生まれた人を対象とした発言であるが、そのような境遇の人達でなく、下の上とか、中の下ぐらいの裕福さの家庭に生まれた人達でも「親ガチャ」は感じているのではと思う。そのような人達に対して、上記の行政サポートが効果的かというと、そうではないだろう。

 

例えば親が政治家であれば、自然に、自分の将来の進路に政治家が含まれる。医者であれば、自分の進路に医者は含まれるし、医者になるための大学進学も生まれた瞬間から視野に入っている。一方で、父親は郵便局員、母親は専業主婦で、両親ともに最終学歴が中学校のような場合もある。つまりポンさんの場合なのだが、自分には政治家や医者になる進路は全く見えなかった。そう、生まれた家庭環境によって、人生の選択肢はかなり狭められるのである。生まれた家庭環境によって、子どもの常識は形成され、自ずと選択肢を狭められる。職業柄、大学の先生方と話す機会がそこそこある。その際に、両親が海外の有名大学出身、兄弟が海外の有名大学で博士号を取得した、などという話を聞くことがある。このような話を聞くと、自分には海外の有名大学といった選択肢は、最初から存在しなかったなぁと思ってしまう。

 

岸田文雄氏の他にも、様々な著名人が「親ガチャ」に対して意見を述べている。その中で私が最もしっくりきたのが、乙武洋匡氏の発言だ。「どんなガチャを引いても豊かに生きられる社会にしたい。それには、とにかく選択肢を増やすこと」という発言である。そう、どのような家庭に生まれても、広い選択肢が用意される社会であって欲しい。

 

生まれた家庭の生活環境や親の常識が壁となり、「親ガチャ」で人生が決まる側面があることは認めた方が良いと思う。それを認めた上で、親ガチャによって定められた常識という境界線の存在をまず認識しよう。できるだけ若いうちに。「近所にある学校に行くのが普通でしょ」、「学校を卒業したら企業に就職するのでしょ」などが、親が無意識に定めた常識の例である。そして、必要な時にその境界線に縛られず行動できれば、より自由に生きられる。「ガチャに外れた」と思わずに生きられる。ではどうすれば、境界線を認識できるようになるのだろうか。人生の選択肢を決める前の若者が、様々な人生を歩んでいる大人と直接会話する機会があれば良いのだが。残念ながら、核家族化、近所付き合いの減少などで、このような機会は少なくなる方向に進んでいる。研究者やエンジニアがどういうものか、丁寧に若い人達に伝える。これがポンさんが今できることかな。