特別講義

出身大学で年に1回、特別講義を担当している。大学時代に所属していた研究室の先輩が大学に残って教授になった。その先輩から毎年、依頼が届き、それを引き受けている。頼まれなくなったら終了だな、と思っているが、今のところ10年ほど続いている。

 

大学時代に講義を受けた教室で、今は講師として講義に参加していることが不思議な感覚である。学生の姿を見て、「自分もこんな感じだったんだろうな」と感慨深い。また、大学時代に受けた特別講義は、今の自分のように、企業のおっちゃんエンジニアが担当していた訳だが、そのおっちゃんが話す内容が全然理解できなかったのを覚えている。なので、出来るだけ学生が理解できるように、平易な言葉で説明することを心がけている。

 

授業の最後に授業の感想を記載、提出してもらうことで講義に出席したことになる。これまで色々な感想を目にしてきたが、心に残っている感想が2件ある。1件は、「しっかり準備をして講義に望んで欲しい」という苦情。確かにその年の講義資料はかなりの部分が前年度の使い回しであった。60名ほどの部下を率いる管理職を務めていた時期で、正直なところ、講義資料の準備に割ける時間がほとんどなかった。ただ、学生は授業料を払って講義を受けているので、この学生の苦情はもっともである。この年以降、常に資料は最新の情報に更新して講義に望んでいる。学生にはその情報をしっかり受け止めて欲しい。キラキラした目で講義を聞いている学生は受け止めてくれている。一方、死んだ魚の目で授業に出席している学生もいて、彼らには何も望めないなと諦めている。

 

もう1件は結構衝撃的で、「このような講義を真に受けた人間が従順なサラリーマンになる、こうして社畜サラリーマンが量産されるんですね」というもの。そういう風に捉えることができるんだと驚いた。今は働き方が多様化しているので、同じサラリーマンでも勤務形態は千差万別。副業を認めている会社もある。サラリーマンに対してもう少し良いイメージを持ってもらいたいところです。少なくとも私は、会社で結構やりたいことをやっています。いずれにせよ、学生から新たな気付きを毎年もらっているので、頼まれる限り、講師は続けていこうと思っている。