レオナルド・ダ・ヴィンチ

- Leonardo da Vinci -

けんきゅうの研究所 Research Lab.:レオナルド・ダ・ヴィンチ

「モナリザ」「最後の晩餐」などの絵画の作者として有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ。画家であって研究者ではないのでは、と思われるかもしれませんね。でも実は、地球や人体の不思議を解明するために、様々な研究領域に手を出した人なのです。例えば、生涯に男女それぞれ30体の人体を解剖し、筋肉、血管、神経などの詳細なスケッチを残しています。このスケッチは画家としての描写の技術と、人体への興味が重なって初めてなせる技であり、既に人体の調査が進み、人体に関する情報を知ることができる現代人が見ても素晴らしい。

 

彼はスケッチだけでなく、心臓とつながる大動脈の根元にある弁が開閉するメカニズムも解明しています。大動脈に送り出された血流がらせん状の渦を形成することで、弁が開き、そして血液が逆流しなくても閉じる。このような機能を有する大動脈の根元の部分は、1700年代初頭にこの部分を研究したイタリア人の医学者の名前をとって「バルサルバ洞動脈」と呼ばれています。でも実は、200年前にレオナルド・ダ・ヴィンチはこの機能を解明し、スケッチを残していたのです。また、人の目の機能にも関心をもっていたようで、目の網膜の中心で捉えたものは輪郭がはっきり見えるが、周辺で捉えたものは輪郭が曖昧であることを彼は認識していました。この目の機能を上手く利用し、「モナリザ」は口元をフォーカスして見ると微笑んでいるように見えないが、他の部分を意識して鑑賞すると微笑んでいるように見えます。このように我々の想像を超える工夫が「モノリザ」には施されています。

 

解剖学だけでなく、光の反射の仕方を解明する光学、水の流れ方を解明する流体力学、人体の各パーツの比の考察や遠近法の採用などに役立つ幾何学にも関心を持ちました。それらが彼の絵画には凝縮されているのです。その他にも、運河、城壁、教会などのデザインに必要な建築学、舞台装置や兵器のデザインのための機械力学など、本当に多岐にわたる技術領域を彼は手がけました。したがって、レオナルド・ダ・ヴィンチの変態性を語るとすれば、その知識欲の凄まじさであると思います。沢山の領域に手を出さず、絵の制作に没頭していればもっと沢山の名作が世に出されたのに、という評価をする人がいるようです。でもこの考え方は間違いですよね。解剖学、光学、流体力学などのバックグラウンドがあってこそ、生き生きとした人間や自然な背景を彼は描くことができ、名作を完成させたのですから。

 

これだけを考えるとレオナルド・ダ・ヴィンチは天才のように思えますが、人間らしい点も多々あります。例えば、彼は研究の結果を纏めて論文とし、出版するのが不得意だったのです。大動脈の根元の機能について、彼が論文を書いていたら間違いなく「レオナルド・ダ・ヴィンチ洞動脈」「ヴィンチ洞動脈」などと命名されていたはずです。でも彼は論文を残さなかった。その結果、彼が残した膨大なノートが、彼がどのような研究に取り組んだかを知る手がかりになっています。また、彼は描きたいものしか描きませんでした。時の権力者に依頼されても、興味のない制作には取り組まなかったし、途中で制作を止めた案件もありました。「モナリザ」についても、きっかけとして何らかの制作依頼話はあったようですが、制作費は受け取っておらず、生涯手元に置いて加筆・修正を加え続けたのです。「モナリザ」のモデルとされているリザ・デル・ジョコンドは権力者ではなく、一般的な絹商人の妻であることも、彼が頼まれて描いたわけではなく、自身の意志で描き始めたことが理解できます。書きたい絵しか描かない。自分の我を貫き通す、人間らしさがあったのです。

 

あと、絵を描くスピードが遅かったようです。彼に依頼して運良く引き受けてくれたとしても、絵がいつ完成するかわからないし、完成するかも定かでない。厄介なアーティストですよね。このようなエピソードを知ると、レオナルド・ダ・ヴィンチの生き様を身近に感じられます。

(写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の住まいのクルーの館(現在は、クロ・リュセ城と呼ばれる))