挫折をバネに

プロ野球の試合を見ていて、ふと、過去の野球での挫折、大失敗したシーンを思い出した。兄が少年野球チームに入ったことがきっかけで野球を始め、高校では硬式野球部に入部して野球に取り組んだ。高校2年生の時だったと思う。遠征と称した、2泊3日で四国まで試合に出かけるイベントがあった。試合が2〜3組まれていて、1年上の先輩達がレギュラーとして試合に出場していた。ポンさんは、野球が上手かったわけでもなく、その結果、監督に声をかけてもらえる機会も無かったので、到底、出場できる筈もなく、もっぱらベンチで声を出していた。

 

最後の試合は、結構な強豪校との対戦で最終回まで4〜5点ほどビハインドの展開。最終回、ツーアウト、ランナー2塁となり、1点は返せるかなという場面になった。ただ、1点では逆転できないので、この回が終われば遠征も終了だなぁ、帰路に時間がかかるだろうなぁと何となく考えていた。その折に、急に2塁の代走を命じられた。高校生になり、硬式野球部に入ってから一度も試合に出場しておらず、しかも遠征は終了した気分だったので、かなり驚いた。そして、その流れで代走で出場し、数秒後に投手からの牽制でアウトになり、試合が終了した。

 

絶望感が半端なかった。四国までの遠征に参加し、成績は1回の代走で牽制アウト。先輩達が頑張っていた試合で。牽制でポンさんをアウトにした対戦相手のショートは、「リードが大き過ぎるんじゃ、ボケ」と捨て台詞を吐いて去っていった。監督は遠征にまで来て、ポンさんの出場機会がゼロというのを避けたくて、代走に出したのであろう。決して、ポンさんの足の速さに期待をして代走を命じたのではないと断言できる。何故なら、ポンさんの走力を監督は知らなかったから。そもそも、野球が上手くないポンさんに対して、監督は関心が無かった。2塁のベースから必要以上に大きくリードをとってしまったのは、そのような自分への評価を覆したかったからかもしれない。ちなみに、少年野球から高校野球まで、牽制でアウトになったのはこの一度だけ。

 

その後、高校3年生になり、同学年の野球部員が少なかったこともあり、ポンさんはレギュラーになれた。最後の夏の地方大会ではベスト16まで進出。その結果、四国遠征での屈辱的な出来事は思い出すことが少なくなり、心のキズも癒えていった。最近まで忘れていたのだから。ただ、牽制でアウトになった時に捨て台詞を残したショートの選手よりも上手い選手になれたのかというと、そうではない。結局、自分には野球の才能は無いと諦め、大学で野球はやらなかった。つまり、野球については完全に諦め、挫折したのだ。

 

大学時代、特にやり甲斐を見つけられずに過ごしていたが、大学3年の時に、研究者、エンジニアの素晴らしさを教えてくれる恩師と出会った。それから研究者、エンジニアとしての活動を活動を開始、現在も現役の、プロの研究者、エンジニアとして働き、活動を継続できている。そういう意味では、研究者、エンジニアとしては挫折しておらず、成功しているのかもしれない。

 

ただ、研究者、エンジニアとしてやり切ったか、行けるギリギリのところまで到達したか、と問われるとイエスとは言いづらい。野球で味わった絶望感、屈辱を、心を燃やすエネルギーに変え、研究者、エンジニアとしてキンキンに尖った技術、人類に貢献する技術を諦めずに追求していきたいと思う。