男盛り、女盛り

男盛り、女盛りって、いつなのだろうか。30代の頃、季節が夏から秋、冬へと移り変わるのを敏感に感じ、「自分の人生も盛りを過ぎたなぁ」などと感慨に耽っていた。また、花が綺麗に咲いた後に枯れていく様子を見て、年配の方々が自虐的に「自分達みたい」と言っているのをあるテレビ番組で見た。これらの感慨や発言は、男盛りや女盛りは人生の中間点にある、という考え方に沿ったものだ。この認識は正しいのだろうか。

 

例えば、『富嶽三十六景』を世に送り出した浮世絵師の葛飾北斎は、90歳で臨終を迎えた。その最後に「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」との言葉を残している。この言葉と、名作のほとんどを人生の後半に生み出している(ちなみに『富嶽三十六景』は63歳で制作を開始し、73歳で完結させた)ことから、葛飾北斎の男盛り、技術の絶頂は90歳ではないかと思う。つまり、自分を磨き続ける人は盛り続けるのではないか、と思うのである。季節の移り変わりや、花の散り際で感慨に耽る必要はないのだ。

 

もう一つ例を挙げるならば、レオナルド・ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』などの代表作を生涯手元におき、加筆を続け、作品を磨き続けた。この事実から、レオナルド・ダ・ヴィンチの技術も、彼の代表作も、最盛期は彼の最期の時(67歳)だ。そう、やはり人は磨き続ければ、男盛り、女盛りが生涯続くのだ。このように考えて、人生を精一杯、生きていきたいですね。