恩師

大学時代に所属した研究室の教授が私の恩師である。当時の私は根拠の無い自信に満ち溢れた生意気な学生だった。にも関わらず、研究室で色々と自由にさせていただいたことに感謝している。研究内容のこと、深夜までの研究で大学に泊まること、研究室の先輩後輩と大学のグラウンドでサッカーをすること、連れだって銭湯に行くこと、外食に行くことなど、うるさく注意されることは無かった。特に研究内容に関して、否定的なことを言わず、常に前向きなアドバイスをいただいたことは、自分の現在の研究スタイルに大きく影響している。常に前向きな言葉をいただいたおかげで、ポンさんは今も何の躊躇もなく、自由闊達に、新たな技術分野にチャレンジできている。

 

未熟な学生の研究のアラを探して、否定的なことを言うのは簡単なことだったはず。会社で若手や中堅の研究に対してコメントを言う機会が多くなった今、否定的なコメントが簡単なことはよくわかる。アラなんて、いくらでもある。研究者の卵だった当時、やることなすこと否定されていたら、チャレンジを恐れ、萎縮してしまい、守備範囲の狭い研究しかできない研究者になっていたと思う。当時、複合材料の力学やFEM(Finite Element Method)に加えて、最適化法、ベイズ統計、ニューラルネットワークなどについて自由に学び、研究成果として認められた。そのおかげで、材料力学や計算力学分野に加えて、情報科学で昨今議論されていることにも何とかCatch upできている。時代遅れの研究者にならず、現役の研究者として仕事ができている。

 

大学の教員の全てが恩師のような先生ではなかった。ポンさんが選択した専攻は、元々、溶接技術に関する研究で名を馳せた専攻である。したがって、溶接に関する研究を続けている教員も多くいて、溶接に関する授業もあった。溶接関連の実習の中で、「君らはどうせ将来、溶接に関する仕事をすることになる。就職して自動車のエンジンを設計するなんてことは君らにできるはずがない」と言い放った教員がいた。実際、この教員が言ったようなことは決してない。溶接技術を源流とする専攻の出身であっても、設計者になることはできる。

 

また別のエピソードだが、ポンさんがある計算式を使って研究を進めていた時のこと。ある教員に研究内容を説明した際、「その式は間違っているよ。だからその研究内容はおかしいと思う」という指摘を受けた。ポンさんが「計算式のどこが間違ってますか」と質問すると、「どこかはわからないが、直感的におかしいと思う」と回答された。恐らく、頭の悪い学生が適切な計算式を使ってまともな研究ができるわけがない、という先入観をその教員はもっていたのだと思う。このように若者の思いや考えを何の根拠もなく否定する教員もいた。その中で、常に前向きなアドバイスをくれる恩師と出逢えたのは本当に幸運であった。実際、その恩師から沢山の優秀な研究者が育った。ポンさんはそのうちの1人である、とは流石に言いづらい。